こっそり聞いた話ですが、実はパイロットになりたかったそうです。
夢に向かって進んでいたのですが、残念ながらパイロットになることは できませんでした。夜学のデザイン学校に通い、その後デザイン会社に就職。
「絵が好きだったのですか?得意だったのですか?」と聞くと 「うーん、仕事のためだったのかな」と少し照れ気味の返事。
もしパイロットになっていれば「絵師 河口邦山」 は存在していなかった のかもしれません。
番傘アート、看板、のれん、観光ポスターなど、河口邦山の作品は 神奈川県の大磯や平塚の街のあちこちで目にすることができます。
河口邦山の名前よりも、「ああ、あそこのお店の看板?」といった形で 認知されているようです。
ホッとなごめる作品だからこそ、その土地になじみ、親しまれて いるのです。
河口邦山がとても大切に描き、そしてこれからも描き続けていく作品が 「大津絵」です。
大津絵の出会いは、岩手県にある、鬼を専門に扱った美術館に 作品を展示したときの話です。
「この鬼の絵は大津絵のようだ」と学芸員の方から言われたことから 大津絵に興味を持ち、次第にその世界に惹かれていきました。
河口邦山は、伝統的な大津絵を独自の感性でユーモラスに表現しています。 このため、江戸時代の大津絵に比べると少し異なった作品になっています。
江戸時代に多くの旅人を楽しませた民画「大津絵」。 多くの人を楽しませたいという想いは、今も昔も共通なのだと思います。